HISTORY
応神天皇陵の南に鎮座し、日本最古の八幡宮といわれる誉田八幡宮は多くの国宝・重要文化財を収蔵する神聖な場所。
また「古市」駅東の白鳥神社は、ヤマトタケルノミコトを祀利、静かな境内が憩いの場を提供しています。
白鳥陵古墳をはじめ、休日の家族の楽しみが増えそうです。
応神陵古墳
白鳥陵古墳
(徒歩3分/約220m)
羽曳野市の歴史は、約2万年前の旧石器時代にさかのぼる。サヌカイトという石材を用いた狩猟用の石器作りの跡が、翠鳥園遺跡で見つかっており、また伊賀遺跡では縄文土器を使った墓が発見されている。弥生時代には西浦で銅鐸が作られ、古墳時代に入ると石川流域に前方後円墳・前方後方墳が築造された。中期には、日本屈指の規模の応神天皇陵古墳を中心とする古市古墳群が形成された。
古市古墳群
古市の地は、古代の幹線道だった竹内街道と巡礼道だった東高野街道が交差する交通の要衝でした。
平安時代、この要地を押さえていたのが源頼朝の祖先に当たる河内源氏初代・源頼信。
その所領は子の頼義、孫の義家へと継承され、後世の源氏繁栄の礎となったといわれます。
白鳥神社
(徒歩7分/約540m)
通法寺跡(源氏三代の墓)
(車7分/約4,230m)
飛鳥·奈良時代には、朝鮮半島からの渡来人が集住。最新の文化と共に多くの寺院や建物を建立。平安時代後半、源頼朝の先祖・頼信が壺井に居住、頼義(子)や義家(孫)は関東や東北にも名声を轟かせた。三代の墓や、所縁の壺井八幡宮・通法寺跡が残る。鎌倉時代には、源頼朝が誉田八幡宮に神輿を寄進。室町から戦国時代、幕府管領家の流れを汲む畠山氏が、古市に当時最大級の高屋城を築いた。
源氏三代の墓(源頼信の墓)
江戸時代半ばには、河内木綿の栽培が盛んになり、庶民の生活水準も向上。特に古市は、竹内街道と東高野街道が交差し、石川には剣先船が往来するなど、交通・経済の拠点として賑わった。大正12年に道明寺~大阪天王寺(現·大阪阿部野橋間に大阪鉄道(現·近鉄)が開通し、恵我之荘や白鳥が大阪のベッドタウンとして発展。昭和34年に、日本武尊の白鳥伝説に因んだ「羽曳野市」が誕生した。
東高野街道の町並み
東高野街道は、京都九条の教王護国寺(東寺)から大阪平野の東縁を南下し、羽曳野市域を通って紀見峠を越え高野山に至る巡礼の道。かつて、街道沿いには古代寺院や河内国府が設けられ、中世には河内の守護所が古市の高屋城に置かれ、政治·文化の中心地としての役割を果たしていたと言われている。
竹内街道
竹内街道は、推古天皇21年(613)に、それ以前の「丹比道(たじひみち)」を、難波津から飛鳥の都へ通じる大道として整備されたことに始まる「日本最古の官道※」。大陸からの使者を都へ導いた外交の道、また聖徳太子信仰を支えた道として、悠久の歴史の中で様々な役割を担ってきた。
※中央と地方機関を結ぶための、国家によって整備・管理された道
明治以後、近鉄沿線の住宅都市へと発展した羽曳野市。中でも古市周辺は、市役所や警察署などがある
行政の中枢と位置づけられています。また、玄関口である近鉄「古市」駅は、南大阪の交通アクセスの要。
ほぼすべての電車が停車し、年間乗降客数は740万人以上を数えます。
翠鳥園遺跡
観音塚古墳
野中寺
通法寺跡
誉田八幡宮